2011年04月02日

無事に帰宅

昨日の夜に、被災地の気仙沼まで救援物資を届けて無事に帰宅した。
31日に、久喜青年会議所の後輩達が頑張って集めた救援物資を殆ど
とんぼ返り状態だったが、大型トラック満載にして被災者の人たちに、直
接渡す事が出来た。
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届け先は、気仙沼の離れ島の大島だった為に、港から船に載せて物資
を輸送したのだ。
気仙沼というと、この東日本大震災の被災地の中では、4番目に被害の
大きな所だと認識している。
その為に、壮絶な光景を目の当たりにしたのだ。
沢山の事をブログに書いて、みんなに現地の現状を知ってもらいたいの
だが、言いたい事が沢山ありすぎて整理がつかない。
伝えきれないが、とりあえずブログに書きたいと思う。
東北自動車道の一関インターを下りて、気仙沼港までは約60qくらいの
場所に位置する。
インターを下りると、被災地を感じる光景は、余り目にする事はなかった。
被害状況は、この埼玉や久喜と殆ど変わらない状況だった。
しかし、30q圏内に入った時点で、思わぬ光景を目にしたのだ。
私は、葬儀屋であるので、その光景は余りにも被災の残酷さを感じたのだ。
画像 111.jpg
それは、小さな葬儀場なのに、沢山の方の葬儀の看板が10枚位並ん
でいるのだ。
葬儀屋としての感だが、この看板は葬儀を1件の家で、執り行う事が出
来ないので、合同で葬儀を行っているのだと推測した。
そして、港方面にひたすら走っていると、ガソリン渋滞にも目にする事も
あったが、震災からもう3週間も経っている事もあり、それほどでもなく、
帰りには渋滞もなかったのだ。
コンビ二は、閉まっている所が多かったが、空いているコンビ二には、食
料が売り切れの状態だった。
向かう高速道路の話に戻るが、サービスエリアの状況等も知っておきた
かったので、マメにに寄ってきたのだが、ビックリした事実があったのだ。
最初に寄ったサービスエリアは、久喜から直ぐの羽生だった。
羽生には、水も食料も一切ない状況だった。
次に寄ったサービスエリアと次の次では、食料が無いが水はあった。
そして、被災地に近くになるにつれて、水の在庫も増えてきたり、おにぎり
やサンドイッチなども豊富に揃っているのだ。
私なりの解釈だが、きっと被災地の近くにはないと考え、買いだめして行
く人が多い為に、このような現象がおきているのだと思っている。
話し戻して、港に近づくこと5km3kmとなるが、余り光景の変化が感じら
れなかった。
そして、1kmに近づくと少し様子が変わってきた。
500m位になると、目を覆いたくなる光景となった。
ちなみに、この状況は気仙沼市は港から500m位から急に高台になって
くるので、極端に被害の状況に差が出たのだと思う。
画像 126.jpg
画像 121.jpg
テレビでは見ていたが、凄すぎて残酷過ぎて言葉を失った。
目頭が熱くなり、涙を必死にこらえた。
震災3週間後なので、道からはガレキが片付けられていたが、見渡す限り
ガレキと倒壊している建物だらけである。
そのガレキの中で、必死に野菜を売っている人や米を売っている人もいた。
必死に、ガレキを片付けている人もいた。
市役所に、助けを求めに来ている人もいた。
臨時のハローワークに行列も出来ていた。
もっともっと感じた事があったが、沢山ありすぎて書ききれない。
港の直ぐ前で魚屋をやっている人から、沢山の話を聞いたが、現地の人の
声を生で聞くのは辛すぎた。
電線泥棒がいる話には、かなりビックリした。
これ以上書くと、なんだか解らなくなるので、私なりの答えである。
被災地に行く前は、帰ってきたら自分自身どういう気持ちになってしまうのか、
解らなかったが、行って良かったと思っている。
私は、被災地に今一番必要なのは希望だと思う。
希望を持てるような、システムを作る事だと思う。
今は、救援物資は必要だが、永遠に送り続ける事は出来ないし、送り続ける
事は良くないとも思った。
しかし、先立つものはお金なので、復興するにはかなりのお金が必要なので、
義援金がもっともっと必要だと思った。
被災地ではない、この地域で営業していく久喜葬祭社の業務は、通常通り行う
努力をして、前向きに前進していくべきだと結論が出たのだ。
だから、私たちの出来る節電などは確りやって、今後は久喜葬祭社としても義
援金活動をやって行く事が被災地の為になると考えたのだ。
まだまだ書きたい事はあるが、最後に5年後には気仙沼市そして大島に観光に
行って、元気になった復興に成功した姿を見に行きたいと思っている。
posted by 社長 at 12:13| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お疲れ様でした!
久喜市役所も募金箱位しかやっていないし
被災者の積極的な受け入れって話も聞かない
合併して15万人の市になったのに何をしているのでしょうか?
市長は何を考えているのでしょう・・・
Posted by at 2011年04月02日 13:15
今、拝読しました。
おっしゃるとおり、被災された方々が、人として尊厳を持って生きられるように希望を抱く、そのために私たちができることは何か考えなくてはいけないですよね。
Posted by こいのぼり焼き at 2011年04月02日 19:03
お疲れ様でした。色々と見えたものがあられると思います。おっしゃっている言葉の中で“希望”とありましたが、まさにそうだと私も思います。先般被災した仙台の方とお話をさせていただきましたが、電話一本に非常に感謝されたことが印象的でした。被災をしていない私が色々言っても説得力なしなので今更ながら社長の意思を見、そして今後も自分の出来ることを行おうと強く思いました。社長!本当にお疲れ様でした
Posted by 大橋 at 2011年04月03日 10:12
いろいろ励ましのコメントありがとうございます。
Posted by 社長 at 2011年04月05日 14:16
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